少林寺に昔すごい日本人がいた

少林寺にあった山門

河南省小林寺

冬に少林寺観光した時に巡り合ったお墓にまつわるお話、ひとり感動したのでシェアしたいと思います。

駐在時、年末になると日系企業のため大晦日や元日に付加して少しの休みがあった。
日本に帰るほど長い休みでもなく、1~2か月もすれば春節の長期休みがあるためこの時期は国内旅行などに充てることができた。
この日は寒い朝、前日から鄭州に入って、少林寺を回る現地のツアーに参加した。
前日到着したホリデイインエクスプレス郑州においてあったチラシで予約した。

バスはホテル3か所をピックアップしながらてツアーメンバを搭乗させていった。ツアーのメンバは全部で15名程度。うち4名がオーストラリア人男女と、1名が台湾人と私ひとりが外国人だった。

バスは山を上がっていった。
そろそろ近いぞと思ったらバスを取り囲む中学生の一群波のように人の壁を構築、その間を小学生らしき子供たちが交差点を安全に渡っていくさま。交通誘導をしているのでした。機敏な動きがもう少林寺っぽく、少林寺に着いたことを知らされるのでした。

中学生のつくった壁の間を小学生が渡っている様子

団体でガイドさんに従って見学を開始する。 説明全部が聞き取れるわけではないが重要なことは聞き漏らさない構えで常に先頭にて付き添って歩く。日本の学校生活では常に一番後ろだったけど( ´∀` )
一般の中国人の方は、緩く団体行動と自由行動の中間ぐらいのスタンスで。オーストラリア人はバスに一緒に乗るだけという感じで。台湾の人はツアコンの人曰く、警官で普通話(語)が通じないらしく説明を聞くでもなくついてきているという感じでした。

少林寺にあった山門
ツアーで見学して回った少林寺の風景

講堂に案内されて少林寺拳法の演舞を見学させていただきました

少林寺演舞

凄まじい迫力の演舞。刀だけではなく、いろいろな武器も使っての演舞でした。

鍛えられた修行の結果こんなこともできるように 少林寺
剣先に持ち上げられる鍛えられた肉体 熟達者のみできる技、真似してはいけない

日本人のお墓に遭遇

少林寺の見学で、日本人のお墓に遭遇演舞を見学したあとで、そのほかの広大な寺内にある由緒あるものを見てまわりました。

ツアーコンさんの旗に従って見学をすすめます。聞き漏らしないように、ご主人に従う犬のように付いていきます。

なにせ歴史のある寺なので見どころはいっぱいでした。


お墓が並んでるところにきたら、自分が日本人だとツアーガイドさんが知っていたのでコッチコッチと脇道へ
なんやなんやとついていったら、このお墓を見なさいと。

少林寺の墓地にあった照公さまについての説明碑
照公さま邵元(しょうげん)和尚さまの碑


彼女いわく、(自分の聞き取りによる)ここに並んでいるのは歴代の寺の代表を務めた人の墓です。日本から少林寺を勉強しにきた僧侶が相当な努力を重ねて回りから人徳を評価されて寺代表までになったのです。
それを聞いて遠く日本から危険を覚悟に海を渡り港からも遠く離れたこの地まで来て努力をかさねた偉人に胸を熱くしました。
現代ではいろいろな語学習得用の学習ツールがあるのに、当時は本当に大変だったと思いました。またこの地の暑い夏、凍てつく冬も昔はしのぐことも大変だったと思いながら、故人の果てしなきご苦労をしのびました。

あまりにも寒くって、雪も適当にしか払わず、写真にしたことが今となっては悔しいですね。

ブログにするにあたって、この逸話について後から調べたらこの逸話については全日本少林寺気功協会HPにも記述がありました。
若干の内容の違いはあるけれど、お互いを認め合い惜しみあう風土は1300年のころには、すでにあったのです。
文明は大きく進化しましたが、精神的な豊かさは損なわれているのではないかとも思うのです。


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