観光地としての進化が激しい杭州西湖
最初に中国へ旅行したのが2001年、その後の赴任生活などで幾度か杭州の西湖に行ったものだ。上海近郊の観光地として世界中に名前が通っているせいか、行くたびに観光地化がはげしく観光を集客する湖畔の施設が充実していった。風情が失われてしまったと思うのは自分だけだろうか。
旅行で最初に訪問したときには、生産会社の総経理につれられて、往復車で行ったが朝7時ごろ上海中心を出発して戻ってきたら夜だった。当時は高速道路も通じてなく一般道をひた走っていった記憶がある。ボートに乗って湖の中の島に渡たったり、6層の塔に上ったりした。運転手さんは数ページしかない人民日報を1日中読んでいた。
どっかにそのころのの映像があるのでそのうちに披露したい。
高鉄(新幹線)もなく高速のアクセスが良くなかった時には、杭州や蘇州への出張も宿泊だった。
日本でも東京から岡山ぐらいは日帰りが当たり前になってしまい便利にはなったけど、旅行や出張のイベント感が薄れてしまったように思う。
家族で西湖へ旅行
単身赴任をしているところに、東京から家族がやってきて上海周辺の旅行に。
やっぱり、会社の先輩が案内してきてくれたように、蘇州か杭州にはいった。
せっかくなので食事は歴史のある楼外楼へ、ここで食べないといけないものは乞食鶏と龍井蝦と東波肉である。
料理『乞食鶏」のいわれは、乞食が鶏を盗んだが、肝心の鍋がないので粘土にくるんで蒸焼きにしたとか、盗んだ鶏をばれないように蓮の葉に包み焚火の下に隠して料理したなど諸説ある。
中華料理もいろいろなジャンルがあるが自分の口にあうのは、ローカルにいわせると「甘い」といわれる上海近郊の味覚かな。当時食事中にカメラをゴソゴソ出して写真を撮ることは珍しく、写真は残っていない。
核攻撃に備えた歴史 地下建造物の見学へ
食事をしたあと、西湖湖畔をあるいて行きたかった704工程へ
日本の発行するガイドブックなどには載っていなかったが、ネットで情報を拾っていった。
原爆の投下にも耐えられるように設けられた軍指令所
外部との仕切りには、厚み15㎝の鋼鉄製の扉を使っていて、重さは500キロだとか。
とにかく遮断のために必要とされる厚さに圧倒されました。
内部は空気浄化やら豊富な備蓄で長期間生存が可能になっているとのこと。
704工程内の地下通路このような通路など4,000平米を超えるといわれている。そのほか武器庫、通信所、会議室など見ることができた。
近代の歴史的な構造物であった。林彪の居住した部屋や歴史についての展示物も多かった。
また改めて訪問してゆっくり見学してみたい。